アート活動をする県内施設・事業所 他
アートアクト - 07
Facilities for art activities
  
   
社会福祉法人館邑会(かんおうかい)「陽光園」
 群馬県邑楽郡甘楽町赤堀836-1
 tel 0276-88-6700

記憶のなかの飛行機を描く
あの日の空へ向けた眼差し

 邑楽町にある生活介護事業所「陽光園」に通う利用者の一人に、青空を飛ぶ飛行機の絵をずっと描き続けている人がいます。彼の名前は西澤彰さん。飛行機と乗り物、 そして写真を撮ることが好きで、日々の変化にとても敏感なところがあります。現在は、近くのグループホームで暮らしながら、昼間は「陽光園」に通所して、ホテルの寝具をたたむ「シート伸ばし」と、ミルクポーションのフタと容器の分別作業をしています。そして時には心の赴くままに、記憶のなかにある飛行機の絵を描いて過ごしています。

 1969 年に群馬県館林市で生まれた彰さんは、3歳になる頃にはすでにクレパスを手に絵を描いていました。当時、「知的障害児通園施設ひまわり学園」に通っていた彰さんは、保護者会の終わりを待つ間、母親の横で絵を描いていました。その絵がたまたま居合わせた美術家の長重之氏(1935 年-2019 年)の目に留まり、二人の交流がスタート。長先生のもとで絵を習い始めた彰さんは、緩やかに才能を伸ばしていきます。
 彼が描く作品は色使いに特徴があり、どれも目の覚めるような真っ青な空が印象的。色は彰さんにとって意味の深いもので、クレパスは基本的に青・灰色・白・黒・赤、そしてときどき緑の6色だけを使います。描くのは、今日見た風景ではなく、記憶に焼き付いたいつかの風景。 それをまるで頭の中に写し出して眺めているかのように、細部まで丁寧にこだわって再現しま す。だからなのか「私たちが飛行機を描こうとすると、まず全体の輪郭から描くと思います。でも彼の場合は、車輪や翼、プロペラなど、ある一部分の細かいところから描き始めるのがとてもユニークで」と普段の様子を知る支援員は話します。
 飛行機は彰さんにとって、特別な存在でした。かつて陽光園の北側には、軽飛行機「セスナ」 が離着陸する小さな飛行場がありました。滑走路から飛び立った飛行機は、市内にある彰さんの自宅上空をいつも決まった時刻に通過し、その光景を外に出て眺めるのが日課だったといいます。
 特別支援学校の中等部を卒業し15 歳になった彰さんは、実家から近い陽光園に通うように。 そこで、いつも見ていた飛行機が、施設のすぐそばにある「大西飛行場」から飛んでいることを知ります。
 青空を飛ぶ飛行機の風景は、常に彰さんの日常のなかにありました。時代とともに宣伝機の 役目を終えたセスナが空を飛ばなくなり飛行場が閉鎖した今でも、彼が一心不乱に描くのは、いつか見た記憶のなかの飛行機。これまでに描かれたほとんどの絵は、真っ青な空に翼を広げて飛んでいく飛行機を地上から見上げた風景です。描くときは何十枚も一気に描き上げますが、 二つとして同じものはありません。彼のなかでは何月何日にどこで見た機体なのか、全てに区別があるのだそうです。それはきっと彼の頭の中に、映像のフィルムがいくつも存在しているからなのかもしれません。
 彰さんの創作の時間は、習慣的でも定期的でもなく、描き始める瞬間に前触れはありません。 陽光園の作業部屋の一角に用意されたパーテーションで仕切られた空間が、彰さんだけの小さ なアトリエ。ここで描くのは主に飛行機ですが、ほかにも新幹線やロープウェイ、車といったさまざまな乗り物も描きます。「乗り物が好きだった彰さんのために、家族でいろいろな乗り物に乗って出かけた子ども時代の思い出を描いているのかもしれません。彼が一心不乱に絵を描 く場面にはなかなか遭遇できないのですが、飛行機の絵を描くときの表情は穏やかで、気持ちの安定を感じます」と温かなまなざしで彰さんの普段の様子を教えてくれました。
 陽光園では施設として「アート支援」という本格的な取り組みには乗り出していませんが、 西澤彰さんが時折見せる創作意欲をこれからも尊重していきたいと、想いを語ります。また、初期の「通所授産施設陽光園」の頃から続く陶芸は、「多機能型事業所」時代の就労継続支援B型の「陶芸班」としての活動を経て、現在も余暇活動として受け継がれています。作業部屋には利用者たちが手がけた大きなツボや平たいお皿、ミニチュアの恐竜の置物など、愛嬌のある作品が並び、普段のにぎやかでほのぼのとした雰囲気がうかがえました。

   

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取材日:令和5年(2023 年)3月30 日
文:鎌田貴恵子 撮影:カナイサワコ