「つゆ草和太鼓愛好会」は、障害のある子供を持つ母親たちの小さな集いからから生まれました。子供たちの体力づくりの一環として取り入れ始めた和太鼓は、今では
地域のお祭りで力強い演奏を披露するまでになりました。
和太鼓と並行して、母親たちの集いはやがて障害児学童クラブ「つゆ草」を運営するNPO法人へ、2005年には社会福祉法人「あかぎの響」の認可を取得。現在は障害児学童クラブのほかに、就労継続支援B型や生活介護の事業所を抱える組織を確立しています。
とっぷりと日が暮れた赤城山の麓・前橋市富士見町で、こうこうと明かりがもれる建物から響き渡るのは、力強くも心地よい和太鼓の音色。毎週金曜の夜8時、どこからともなく人が集
まり和太鼓の練習に励むのは、「つゆ草和太鼓愛好会」の皆さんです。
障害児学童クラブ「つゆ草」でのリズム療法から派生したこの和太鼓愛好会に所属するのは、自閉症やダウン症など、さまざまな障害とともに生きるメンバーとその親たち。発足当初から所属するほとんどのメンバーは、和太鼓歴20年以上というベテラン勢が揃います。持ち曲のほとんどは、講師としてメンバーの中心で指揮をとる須田正夫さんが用意したオリジナル曲や、
演奏しやすくアレンジを加えた曲。「なかま」「みこし」「つゆ草どこんこ」など9曲のレパートリーを持ち、県内各地のお祭りで演奏しています。
「つゆ草」としての始まりは1993 年、前橋市と合併する前の富士見村(現富士見町)で暮らす、障害のある子供を持つ母親たちの集いでした。「放課後を過ごす学童のような場所をつくりたい」。立ち上がった数名の母親たちと指導者の柳井元子さんの力添えで発足した「つゆ草」は、週末に集まって保育や散歩をして過ごすささやかな活動からスタートしました。人数が増えてからは毎週土曜に村の公民館を借りて、雑巾がけや体操、柔軟など、子供たちの体力づくりが軸に。和太鼓も、そうした体づくりの一環として取り入れられたものでした。
「和太鼓といっても、初めは塩化ビニール管を太鼓に見立ててバチで叩くだけ。それも、メンバーの家族に大工がいたので、そこから廃材を集めてきたものでした」と発足メンバーの羽鳥代表は当時を振り返ります。
リズムに合わせて太鼓を叩く動きは、腕の筋力アップや集中力のトレーニング、そしてなにより楽しみながらの気持ちの発散につながるもので、子供たちはどんどん夢中に。企業や団体からの寄付をもとに1 台ずつ太鼓を買い揃え、数台を所有するようになったころから、地域の祭りで和太鼓演奏を披露するようになりました。メンバーたちが「先生」と呼んで慕う須田さんとも、そうした地域の祭りでの出会いがきっかけだったそうです。
子供たちの高等部卒業とともに、集まっての練習は夕方の学童から夜の部へシフト。昼間は
別々の事業所に通いながらも、毎週金曜の夜だけは、こうして学童時代の仲間で集い、和太鼓の練習を続けています。20年以上の年月を共に過ごし、太鼓のリズムをあわせながら心を通わせるメンバーたち。お互いに言葉は交わさずとも、和太鼓によって不思議とまとまりが生まれているようだと親たちは話します。「特にステージではお互いに『こっちだよ』と誘導しながら面倒を見合っているようで。目には見えない心のつながりを、親としては感じます」と羽鳥代
表は笑みを浮かべます。
また、人前で演奏する機会は、本人たちに自信や達成感をもたらします。「とにかく、イベントで発表した時の堂々とした姿。『やりました!』という自信に満ちた表情が気持ちよくて」ともう一人の発足メンバーの船津定子さん。演奏中は、多少リズムが走ってしまうこともありドキドキヒヤヒヤしながら見守るそうですが、「最後はいつもバシッと決めるのが、見ていて
『おぉ!』と思います。子供たちは達成感に満ちた表情で」と嬉しそうに話してくれました。
「コロナ前までは、毎年参加していた地域のイベントがたくさんありました。秋には月3回くらいイベントが重なり忙しかったんですよ」とコロナ前の日々に思いを馳せる羽鳥代表。それだけに、ここ数年のイベント中止や活動の自粛には、さびしさともどかしさを感じてきました。
インタビューの際にも「早くイベントに出たい」と気持ちを伝えてくれたメンバーにとって、
定期的な活動とステージで発表する機会が生活の張り合いとなっていることはいうまでもありません。
それでも昨年は数年ぶりに、前橋市の熊野神社で行われる酉の市での演奏が復活し、少しず
つステージに立つ機会を取り戻しつつあります。「新しいイベントからも声がかかったら嬉しい」
と再び前を向きながら、つゆ草和太鼓愛好会は今日も赤城山の麓に太鼓の音色を響かせています。