知的障害者支援施設「はーとふるチハヤ」の建物がある場所にはかつて「長円寺」
という曹洞宗のお寺の本堂が建っていました。そこで戦争孤児たちを支援する「チハヤ養護園」として歩み始めたのが「チハヤ会」の原点。その名残から、建物の真横には今もカヤの大木が枝を広げています。
2022年4月には、チハヤ会の新たな取り組みとして、「おむすび堂」がオープン。アー
トギャラリーやショップを併設したこの場所を中心拠点に、地域と福祉を結ぶ活動に
挑戦していきたいというビジョンがあります。活動根底に流れるのは「障害のある人たちが輝く場所をつくりたい」という信念でした。
「これまで、障害のある人によるアートの概念を大きく勘違いしていました」と振り返るのは、
職員でアート支援に携わる千吉良一樹さん。「『アートを日中活動に』という取り組みが始まった当初は、ピカソとか一部の名作と比べて『こんなのできるのかな?』と考えていました。でも、
アート支援について勉強するうちに、そういうことではないと気づいたのです」と、今日に至るまでの歩みを語ります。
生活介護と施設入所支援を行う「はーとふるチハヤ」では、日中活動のなかで木工教室と絵画教室のふたつのアート活動班を展開。木工教室では、みどり市の森林組合と連携し、林業でS伐採した木材を活用する林福連携を実践。市営の民芸品工房「わらべ工房」で小さくカットしてもらった木材を、思い思いに削ったり彫ったり。作品を作ろうという意思をもって制作する
人もいれば、ただ単に彫るのが好き!という人もいます。
絵画の活動班では、絵を描いたり、塗り絵をしたり、俳句・川柳を詠んだりと、それぞれが自分を表現できる方法を見つけて取り組んでいます。時にはわらべ工房と連携し、利用者が手がけたイラストを木材にプリントし、コースターやストラップ、木製のカトラリーといったグッズを作り、バザーや「おむすび堂」で販売するなど、取り組みの幅を広げています。
芸術活動を導入する以前の日中活動は、作業に「完成」や「正解」のある内職が中心でした。
利用者によってはその作業がとても困難でクリアできないことに戸惑う、ということも。「でも
アートには正解がない。こうでなければいけない、これで完成、というゴールがないから、ただ絵を描いているだけでも、木材を彫っているだけでも、ある意味全員が正解なんです」と千吉良さん。アート支援は利用者だけでなく、支援する側の価値観を広げ、日々の活動を考え直すきっかけにもなりました。
はーとふるチハヤがこうした芸術活動を導入したのは2018年と最近のこと。きっかけは、
施設長の石戸悦史さんが鹿児島県の知的障害者支援施設「しょうぶ学園」が取り組む芸術活動を見学したことでした。「誰かを驚かせたり、感動させたりする存在にもなれる」と大きな衝撃を受けたと振り返ります。そこでの気づきが「障害のある人たちが輝ける場所をつくりたい」という思いの原点で、現在のアート支援につながっています。
ここで自由な表現を楽しむアーティストたちには、個性豊かな面々が揃います。いつも家族の似顔絵を描く加藤圭一さん。彼の描くイラストは、やさしくほのぼのとした世界観が魅力的で、
多くの作品が木工製品やT シャツなどにプリントされ商品化しています。
ほかにも、「ポエムを生み出し続けて半世紀以上」、あふれだす言葉の海を泳ぐ詩人・スズキシュウテンさん(作家名)。一度に100 枚もの紙を描き切ってしまうほどの集中力を発揮する須藤
和幸さん。洋服の袖への執着が強く、気に入った布は破いてほどいて糸くずを作る・・・それが楽しくて仕方がない!という阿多弘樹さん。
自己表現の手段、興味を示すもの、あふれだすアイディアは実に多種多様。一人ひとりの表
現に込められた「意味」や「喜び」を見出せていなければ、彼らがコツコツと書き溜めたノー
トや糸くずを保存していなかったかもしれないと思うと「早めに気づけて良かったです」と千吉良さんは微笑みます。支援員の高草木悟さんもまた「当初は阿多さんの服の袖を破る行為を
『もったいない』と思うばかりで、芸術としての視点を持っていませんでした。こういう表現の仕方もあるんだ!と気づけたことが、自分の中で大きな一歩です」といいます。
大切なのは発想の切り替え。「すでにそこに存在している行為や特性を、アートとして見られるようになることが大事。ノートやペンをたくさん買って、いつでも描ける環境を整えること。
それが私たちの仕事です」と誇らしそうにいう支援員たちの姿がとても印象的でした。